お寺の扁額と花の世界
ようこそ!扁額漫歩へ
本堂(1964年(昭和39)再建)
「しゃちょっ、そこのしゃちょっ、ちょっと見ていきなよ!」「持ってけドロボー!」こんな掛け声が飛び交う上野「アメ横」、アメヤ横丁商店街。終戦直後に生まれた闇市からJRの高架下とその西側に上野駅と御徒町駅の間の500mに400店ほどの店がぎっしりと軒を並べている。大晦日近くになると正月商品を買い求める人で歩くのもやっとという賑わいをテレビのニュースなどで歳末の風物詩として報じ膾炙している。
通りの中ほどにそこだけ高台になっているのが「下谷摩利支天」と呼ばれる日蓮宗の「妙宣山 徳大寺」創建は定かではないが江戸時代初期だという。奉置されている摩利支天像は左手をかかげ、右手に剣を持ち、走る猪の上に立っているそうだが残念ながら拝観したことはない。
急な石段を登りきると正面にお寺では珍しい権現造りの本堂が建つ。関東大震災、東京空襲で焼失した堂宇は昭和39年(1964)、前回の東京オリンピック開催の年に再建され、今でも朱の彩色は鮮やかだ。石段の途中に狛獅子が睨んでおり神社と見紛う雰囲気を醸し出している。本堂の正面を仰ぐと金色の縁取りの額に木地もくっきりした板に「威光殿」と浅く彫られた扁額が掲げられている。
書家は額には「吉田茂」とただ姓名だけ、元内閣総理大臣。再建を記念して揮毫したというから最晩年に近い年齢のはず。敗戦直後のアメリカを中心とする連合国と渡り合った胆力と機知で現在の日本の礎を築いた柔軟な姿勢は軽やかな中にも筆勢鋭く人柄を偲ばせ、爽やかに思えるのは私だけだろうか。
『扁額』―広辞苑によると「門戸、室内などにかけられる細長い額」とある。また国語大辞典には「室内や門戸に掛けられる横長の額」と説明されている。
『扁』は「戸」と「冊」の会意文字で「冊」は古来中国で、天子が皇太子や皇妃等を立てる時や諸侯に封禄や爵位を授ける時に賜った詔をいい、更に「かきつけ」の意味もあるそうだから、何も細長くなくても、横でなくてもいいだろうと、牽強付会の謗りも受けようが、私は勝手に解釈している。
「扁額」は掛けられている建物の名であったり、山号、寺号、経典の中の教えなど寺院全体を表わす言葉が多い。日本の「扁額」はお寺の額字に始まり、朝廷から正式に認められた寺には「勅額」が与えられ、「定額寺」と特別に称された。
最初に文書として残るのは「続日本紀」の天平勝宝元(749)年だそうだ。聖武天皇が薨去され、光明皇后との間に生まれた阿倍内親王が女帝、孝謙天皇として即位した年である。年表によれば「三宝の奴」として東大寺大仏を礼拝し、大安寺以下12寺に墾田地を授けている。孫引きである。「元興寺と大安寺の東西南北の門には、その寺の4つの名称が書かれた扁額が掛けられた」と・・・。山門を、建物を見上げると表札のように扁額が掛けられている。それを見ながら頭を下げ,潜り、或いはお布施を。扁額が「よく来たな」と見守ってくれている。
お寺の扁額と花の世界
続日本紀
天平勝宝元年条
最初に記された扁額(定額)に関する言葉
(国立国会図書館デジタルコレクションより)
七大寺巡礼私記
大江親通著
大安寺条に「四面門額
東門大官大寺 西門百済寺 南門大安寺 北門南大寺」
(国立奈良博物館蔵)
をクリックしてください
家の門或は玄関に表札がかかっています
庭に或は部屋の中にその折々の花が彩を添えています
お寺にも山門或は本堂に扁額という表札がかかっています
境内にはその季節の花が咲き 訪れる人の目を楽しませてくれます
日常以上旅未満 お寺を漫歩しながら扁額を 花を記憶にとどめます
2023年5月1日更新
※画像をクリックすると拡大します
Kenken