日光街道・小金宿

松戸 東漸寺

東漸寺春秋紅葉

日光街道、小金宿。今の常磐線北小金駅を背に地図を折ってみると北側の本土寺と、南の東漸寺が重なる。寺まで辿る道の雰囲気は全くといっていいほど違う。本土寺までは飲食店或いはお土産屋などがあり、門前町の風情を醸し出しているのに対して東漸寺への道は閑静な住宅街の中を進み、突然に寺の正面を見るようになる。

東漸寺は本土寺が創建されてから200年ほど後(1481年)、応仁の乱が終息した直後に信濃国(現在の長野県塩尻市)の経譽愚底運公上人によって開山・創建された。愚底上人は父が明智光秀の配下にあり武家の出であったが父の敗死後、出塵の念強く出家したという。なんとなく熊谷寺(埼玉県熊谷市)を創建した熊谷直実を思わせる。

本土寺の日蓮宗の題目「南無妙法蓮華経」は至って明るい。昔、街中を白の法衣をまとった僧が数人で団扇太鼓を叩き題目を唱えながら歩いているのを思い出す。賑やかなのだ。一つは題目の「南無妙法蓮華経」と唱えるリズムが明るい。それに比べると念仏の「南無阿弥陀仏」は呟くような静かなイメージ。両寺の印象はこの題目、念仏が象徴しているようかのようだ。

仏法山一乗院東漸寺 江戸時代には関東十八檀林(旃檀林の略 僧侶の養成機関であり学問所。浄土宗では増上寺、伝通院、光明寺など18か寺)の1寺となっていた。最盛期には20数カ所もの堂宇を擁し、末寺35カ寺を数え、名実ともに大寺院へと発展したが明治政府による廃仏毀釈、戦後の農地解放政策で現在の新松戸駅付近まであった広大な寺有地を失い荒廃が進んだ。その後檀信徒の協力でこじんまりしてはいるが、本堂、鐘楼、中雀門、山門、総門の改修、書院の新築、観音堂の再建をなし現在に至っている。楼上高く、この偉容に負けぬ筆勢の扁額が掲げられている。読めない。山号だろうとは想像がつく。筆者の名は読める。「明史 何倩甫書」調べる以外ない。最後の「山」わかる。最初の人偏の文字、古字の会意文字で旁は「西」「域」「哲」を縦に並べている。「西域から来た哲人」即ち「佛」だ。真ん中は「法」の古字。「?」でこれも会意文字。「字源」によれば「刑なり、之れを平かにすること水の如し、に従ふ、?は不直なる者に觸(ふ)れて之れを去らしむる所以なり、に従ふ。」「?」は古代中国における神獣の一種で、その角に触れると立ちどころに罪の有無がわかるのだそうだ。これで東漸寺の山号「仏法山」であることが分かった。

山門を抜け、両側を桜、カエデなどの樹々の間を貫く敷石を踏みながら中雀門を潜る先に本堂がある。正面に掲げられた院号の扁額「一乗院」は読める。これも何倩甫の名がある。

元を倒した朱元璋によって建国された明王朝は1368年から300年近く続き日本の室町時代から江戸時代の3代将軍家光の時代までに充る。何倩甫(かせんふ)はその初期の文人で後年官吏として活躍したという。山門扁額の「明史」の「史」は役人を意味しており、後年になって書かれたものになる。何なる人が来日した記録はないようだ。この扁額を寄贈したのは内藤左京太夫。徳川秀忠・家光の代で現在の福島県浜通り(いわき市)の陸奥国磐城平藩の藩主、内藤義概(よしむね)のこと。仏閣や寺社の再建に励んだり俳諧、和歌を好む教養人だったというから、藩からさして遠くない東漸寺との交誼があっても不思議ではない。ただどうやって100年以上前の人の書を得たのか、しかも山号、院号という固有名詞を書いている。専門家によれば少なくともどちらかは真筆だという。何とも不思議しょうがない。

境内は時折同寺が経営する幼稚園児のにぎやかな声はするが静謐な佇まいの中に春は樹齢330年を誇るしだれ桜と共に裏庭の桜並木が、晩秋には紅葉が見事である。

静けさの中、樹々の間から何倩甫と内藤左京が「どうだ、わかるまい」とほくそ笑んでいるような気がする。そういえば「左京殿、おぬしには面白いことが古文書に残っていますな。『父(義概)は酒宴を好み、女色に耽る』と」。

太陽が本堂の阿弥陀如来の後ろに落ちようとしている。西方浄土に。

                                                                                                                       

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所在 千葉県松戸市小金359

宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建 文明13年(1481)(室町時代)
開山 経誉愚底運公(けいよぐていうんこう)(京都・仏光寺14世)

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本堂内扁額(「法王殿」)

観音堂(平成8年(1996)竣工)

観音堂扁額(「圓通閣」)

山門扁額(「佛法山」 何倩甫筆)

本堂扁額 (「一乗院」何倩甫)

本堂(享保7年(1722)建立)

東漸寺扁額雑感

佛法山(ぶっぽうさん)一乗院(いちじょういん)東漸寺(とうぜんじ)

山門(仁王門)(楼門様式・文化元年(1804)再建
昭和62年(1987)現在の仁王像に。境内側に狛獅子)