「百花王」と中国では呼び、国花ともなっていた牡丹。
「落盡殘紅始吐芳 佳名喚作百異花王
競誇天下無雙艷 獨占人間第一香」
今から1200年ほど前、晩唐の詩人、皮日休が詠んでいる。
(春の花が咲き終わって散ってから花が綻び始める牡丹を百花王という美しい名で呼んでいる。世に並ぶものない艶やかさで咲き誇り、人の世の「最高の香」の位置をひとり占めにしている)とでも訳そうか。
日本でも多くのファンはいるだろうが、桜、梅或は萩などを愛でる心情の対極にある。
その咲き誇る艶やかさが終わろうとするとき、それまでの艶やかさをそれでもなお残しつつある牡丹に心惹かれることもある。
「牡丹くづる女が帯を解くごとく」
96歳まで女であることを失わなかった俳人であり、「卯波」という小料理屋の女将であった鈴木真砂女の句にその思いを重ねるのは私だけか。
一方で木下利玄の詠んだ「牡丹花は咲き定まりて静かなりはなの占めたる位置の確かさ」
は白牡丹だと思う。静謐な風情が漂ってくる。
西新井大師の牡丹は本山である奈良・長谷寺から今から200年余前の江戸時代に移植され、今では「西の長谷寺 東の西新井」と言われるほどの牡丹の名所になっている。
牡丹に限らず、花は出会った時の心境を鏡のように映してくれる。
ちょうど訪れていた和服の女性の帯に牡丹が描かれていた。写真を撮らせてほしいと頼んだところ快く承諾してくださった。それではお礼に、と言おうとしたら牡丹が「おいおい止めておけよ」と。この牡丹は達磨大師の化身かと。やはり鏡であった。
西新井大師
牡丹の寺
山門扁額(「五智山」 江戸中期の新義真言宗僧 隆光大僧正筆)
本堂内阿弥陀三尊像
本堂(昭和41年(1966)に焼失。昭和46年(1971)に再建)
(別称 西新井大師)
三匝堂(さざえ堂)
都内では唯一に。三層でここを一周すると諸国の霊場、諸仏を巡拝したのと同じご利益があるといわれ江戸時代に流行したという。明治17年に改築)
牡丹花雑感
所在 足立区西新井1-15-1
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観音像
創建 伝・天長3年(826) 平安時代
開基 伝・空海
山門(江戸後期建立両脇に金剛力士像。楼門様式)
本堂扁額(「遍照殿」 文化・文政期 書家 松本董齋筆)
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西新井大師の牡丹