本堂

雨情桜の

長瀞 法善寺

三千年の埋木(うもれぎ)に 石の中より日は照りて桜の花は咲くまいし 恋の薬といふものは 
影も形もまぼろしも・・・
 

雨情桜と枝垂れ桜

本尊は阿弥陀如来で、他に廃寺となった金龍山妙音寺の本尊であった十一面観世音も安置されている。
寺宝の和銅は、裏山の金ヶ嶽より落下したものといわれ、山麓の「銅の入」には現在でも自然銅が落下するという。
またこの地は和銅の遺跡として知られ、採銅抗が今でも数抗残存している。(「長瀞町史」より)

金嶽山(きんたけさん)法善寺 (ほうぜんじ)

山門

所在 埼玉県秩父郡長瀞町井戸476
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 阿弥陀如来
創建 文明8年(1476) 室町時代
開基 初代天神山城主藤田右衛門佐康邦
開山 一家西堂(不詳)

野口雨情「恋の薬」より

長瀞にはいつ頃から始まったのか知らないが「秋の七草巡り」という催しがあり、結構多くの人たちでその期間は賑わう。ここ法善寺も「藤袴の寺」として訪れる人たちが多い。
しかし、私がこの寺が好きなのは春、弥生の季節。桜の咲く時季だ。
「まあまあよくお越しを」と方丈の広縁にちょこんと座っているご住職の奥様がご朱印を頂戴するので声を掛けるとニコニコとおっしゃったのは平成21年だったからかれこれ5年ほど前になる。去年訪れた時は残念ながらご住職が外出中でご朱印を頂戴できなかったが、やはりそれまでと同じように老女がにこやかに応対してくれたが、以前よりお元気そう。「前より若返りましたね」と言うと、「いえ、私は妹でしてね。昨年姉がなくなりましたの」とおっしゃる。なんでもご住職の世話するのでここへ手伝いに来ているとのこと。ご住職とは年中喧嘩しているから負けられないと元気でいるんです、と屈託なく笑いながら話してくれた。

この寺の枝垂れ桜が良い。「雨情桜」と書かれた立札の傍にはたわわに撓わせた枝に多くの濃いピンクの花を着けた枝垂れ桜が、菜の花の黄色を前立にするかのように佇立と立っている。なんでも野口雨情の庭にあった桜の一枝を挿し木したとか仄聞した。
私にとっての雨情といえば「船頭小唄」「波浮の港」そして「赤い靴」「雨降りお月さん」など人口に膾炙した歌謡曲、童謡の作詞家として知っている程度である。たまさか松岡正剛氏の「千夜千冊」で「恋の薬」の一節を目にする機会があった。詩は次のように続くらしい。
 「・・・見えるものではあるまいし 常陸の国にはぐまれた 思い出ぐさに咲く花が 恋の薬になればよい」
常陸の国は今の茨城県、雨情の生まれ故郷だ。、そこに咲く思い出ぐさがどのような花なのか或は想像の中の草なのか知る由もない。松岡氏は雨情の童謡を『ぼくは雨情が「滑稽」「諧謔」「洒脱」ということを徹底して考えようとしていた』と書いておられる。なるほど!と改めていくつかの詩を思い出してみた。

濃いピンクの雨情桜はそんな童謡の「滑稽」「諧謔」「洒脱」を引き立たせるかのようにあくまで春のうららを感じさせてくれている。                                             

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山門扁額