分福茶釜の寺

山門【赤門】(萱葺楼門様式 元禄7年(1964)建立)

山門扁額(「山号」 筆者不読)

茂 林 寺

清流山(せいりゅうざん) 茂林寺 (もりんじ)

(彼岸花・ツワブキ終い花・花魁草・白萩・四葉のクローバー)

分福茶釜」のお伽噺、伝説で膾炙している。
開山の正通の供としてきた守鶴が茶会で汲めども尽きぬ茶釜によって寺は大いに繁栄したがその守鶴が狸であったという報恩譚がある。

本堂(応仁2年(1468)建立 享保12年(1727)に改築。茅葺寄棟造り)

所在 群馬県館林市堀江町

宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
創建 応永33年(1426) 室町時代
開山 僧 大林正通

狸 余滴

伝 分福茶釜

「たんたん狸の・・・・」と悪がきと大声で歌ったのは幾つぐらいだっただろうか。幼い頃から狸は身近にいた。

昔話のかちかち山に出てくる悪狸。一方で落語「狸」のかわいい子狸の恩返し。長じて読んだ近江商人と甲州商人を狸と狐に擬えた小説などなど。それでいて狸本人、いえ本狸というべきか、出会うことはいたって少ない。一度は新座にある閉門間近の平林寺の雑木林で。何とも愛すべき立ち姿だった、気がする。なにしろこちらもびっくり、きっとあちらも驚いたのだろう。一瞬立ちどまり目が合う。アッという間に姿を消してしまった。大変臆病だという。「狸寝入り」という言葉もこの臆病さに由来するらしい。漁師が鉄砲を撃つとその音に驚いて気絶してしまう。漁師は命中と思い油断しているすきに息を吹き返し逃げてしまうところから起こった言葉もその臆病さが原因のようだ。しかし愛嬌がある。一つは信楽焼の狸の焼き物。大きな腹と一物に網笠を被り大福帳と一升徳利を持つ姿は「狸親爺」「狸爺」は悪賢い人を指すが、それでいてどこかに憎めないイメージを醸すのはこの焼き物のお蔭かと思ったりしている。

巌谷小波がお伽噺として紹介し、「分福茶釜の寺」として知られている禅寺、茂林寺の門前は狸の置物を売る土産物屋が軒を並べている。黒門とも呼ばれる総門を潜ると山門までの参道に21体の狸の像がいろいろな姿で迎えてくれる。秋の花、萩が彩を添えてくれる。境内には露座の聖観音像と並ぶように大狸が立っている。

有料だが本堂の中に。分福茶釜が置かれいる。汲めども尽きぬ茶釜、開山大林正通禅師の供をしてきた守鶴という老僧が持ってきたという。謂れは最寄駅の東武鉄道の茂林寺前という小さな駅から寺までの間を案内板のように立てられた掲示板に書かれており、それを読み続けると境内の入口に辿り着く。本堂内には多くの狸に像や資料が所狭しと陳列されており、その中にガラスケースに納められているのが黒光りした茶釜。案内板の最後にこう書いてあった。

「今ではこの茶釜、お寺でしずかにねむっています。でもたまには、夜中に手足を出してあたりを、ちょこちょこ歩くそうです。」

民俗学者、柳田國男はこの話を含め動物の報恩譚は「動物と人間との交流を物語る昔話の根幹には「動物援助」の考えがあり、選ばれた人間にである鳥獣が富を与えるのだ」と。

色々な地方に恩返しの昔話が残ってる。鼠であったり、狐だったり或はカエルであったり。

蟹も猿もいる。広く膾炙されているのは木下順二の作品、「夕鶴」ではないだろうか。山本安英の白装束に長い髪が鶴を連想させ、美しさを惹き立てていたのが印象的。助けた鶴が女房となって恩返しをする。しかし本性を知られるとその人から離れてしまう。分福茶釜も同様である。

平安時代の仏教説話集「日本霊異記」にも蟹と蛙が助けた娘を危機から救う話が載っており古くからこのような報恩譚があった。

茶釜になった守鶴は茂林寺の代々のご住職に仕えること161年という。

この茶釜で立てたお茶を味わってみたい。いくらでもお代わりを、と言われるかもしれない、などと考えながら黒光りする茶釜を暫く見ていたが手足は出てこなかった。

本堂扁額(「茂林寺 関翁筆)

大狸(台座に乗り境内を睥睨)

茂林寺の秋の花

狸 五 態

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