花の寺

山門(仁王門)扁額(筆者不詳

本 土 寺

長谷山(ちょうこくさん) 本土寺(ほんどじ)

鮮華 春 秋

水戸街道の小金宿には今は常磐線の北小金駅がある。

「道中の一條まちにて寂々寥々としてあきやの立ちならびしと思ふばかり也」

明治22年、学生であった正岡子規が水戸街道を徒歩で下った紀行に小金宿を評して書いている(「水戸紀行」)

今から750年ほど前の鎌倉幕府執権北条時宗の代、建治3年に日蓮の直弟子であった日朗によって創建された長谷山本土寺は、池上本門寺(長栄山)、鎌倉妙本寺(長興山)と共に「朗門の三長三本」の一寺と呼ばれる名刹だ。

盛時には末寺百数十を統べ、山内は四院六坊がとりまく十四間四面の本堂を中心に七堂伽藍がその山容を誇っていた。日蓮宗の中での教義解釈の争いが起こり、江戸幕府から弾圧(不受不施派弾圧)更に明治政府による廃仏毀釈運動の中で盛時の面影は衰えていった。

ちょうど水戸街道がそれまで徳川御三家の1つ水戸徳川家と江戸を結び、水戸藩の鷹狩の場があったり、近くには幕府の軍馬育成の小金牧があり、また水戸藩の本陣が置かれるなどにぎわいを呈していた小金宿の変容に身を重ねるように衰微したという。

しかし、宿場町から住宅街に姿を変え発展をしてように、本土寺もまた広大な寺域を削られながらも今でも凡そ3,000坪の庭園を有し、多くの樹々、草花を育て花の寺、あじさい寺とも呼ばれ春には桜、夏には紫陽花、花菖蒲そして秋には紅葉を愛でに多くの人達が足を運んでいる。私もまたその一人なのだ。

所在 千葉県松戸市平賀63

宗派 日蓮宗
本尊 三宝尊(※1
創建 建治3年(1277) 鎌倉幕府執権 北条時宗代
開基 曽谷教信(※2)
開山 日朗(※3)

鐘楼(梵鐘は建治4年(1278)の在銘。現佐倉市の大福寺(廃寺)にあったもの

五重塔(平成3年(1991)建立
初重には裳階を付設 初重1辺5.5m、総高18m余)

【桜・紫陽花・紅葉】

山門(仁王門)(木造瓦葺楼門様式 1600年代半ば(慶安年間か)建立)

本堂(木造銅葺屋根 慶安4年(1651)建立 旧祖師堂)

本堂内扁額(当寺9世日諦上人(江戸・徳川吉宗代)

瑞鳳門扁額(「像輪誕生霊区」 旧輪蔵院(塔頭)日運上人筆)

瑞鳳門(文政4年(1821)建立 旧塔頭輪蔵院門)

本土寺と水戸街道・小金宿

※1三宝尊
  日蓮宗・法華宗の本尊。仏・法・僧を祀るための仏像

※2曽谷教信
(そや きょうしん)
  鎌倉後期、下総国の武士。同国八幡荘(現 市川市曽谷)の領主であり、千葉氏の家臣。日蓮の下で出家)

※3日朗
 鎌倉時代の日蓮宗・法華宗の僧。日蓮が臨終に際して後事を託し た6人の高僧の一人。
 当寺及び池上・本門寺の開山、日蓮の開山した鎌倉・妙本寺を後継した。3寺の山号の「長」、寺号の「本」があるところから「朗門の三長三本」ともいわれている。

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