日英上人の弟子であった日親上人が来寺し、堂前の池で寒100日間の水行などの修行を積んだのち上京し当時の足利6代将軍義教に日蓮上人に倣って「立正治国論」を献策。しかし義教はその内容に怒り、上人を拷問にかけたが、屈することがなかったので、頭に灼熱の鍋を被せ、舌端を切り日親の言葉を奪ったという。後年上人をは「鍋かむり日親」と呼ばれるようになった。
            (当寺掲示板より

芙蓉の寺

Ken ken's

本堂扁額(山号  当寺39世 正導院日行師筆

 妙 隆 寺

鎌倉

山門

本堂

酔芙蓉追想

叡昌山 妙隆寺(えいしょうざん みょうりゅうじ)

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酔芙蓉という花の名を知ったのは、高橋治の「風の盆恋歌」だった。

「酔う芙蓉と書きます」(略)

「妙な花ですね。私がついた時と出て来る時と全く色が違っていました」

「だから酔芙蓉なのです」(略)

「はあ」

「朝の中は白いのですが、昼下がり昼下がりから酔い始めたように色づいて、夕暮にはすっかり赤くなります。それを昔の人は酒の酔いになぞらえたのでしょう」

「それは、また、粋な」(略)

「で、酔った揚句がどうなります」

「散りますな」

「酔って散るのですか」

「一日きりの命の花です」

芙蓉と槿の区別さえ定かにできぬのに芙蓉と酔芙蓉になるとほとんどわからない。槿は多くの変種があるそうだが芙蓉の変種はいたって少ないと聞いており、酔芙蓉は貴重な存在だ、という。

酔芙蓉は八重の花弁を持っているので、そのあたりで分かったふりをしている。

「風の盆恋歌」が熟年男女の恋愛小説、年に一度、八尾の盆踊りに逢瀬を重ねるのだから、一日花といわれる酔芙蓉は重要なモチーフになって書かれている。

「夕されば酔いて散り行く芙蓉花に わが行末を重ねてぞ見る」とヒロインが詠んでいる。

酔芙蓉を最初に見たのは、というよりは知ったのは、かれこれ67年前になるだろうか、知人の案内で奈良の元興寺極楽坊、本堂の裏手に濃い紅色の芙蓉だった。「これ」と知人が指差し「酔芙蓉です。もうだいぶ出来上がっています」と嬉しそうに説明してくれた。陽が傾き始めた薄明りの中のその紅顔の花は風にゆらゆらと千鳥足のの如く揺れていたのが今でも印象に残っている。

身近にこの花がないので酔っていく姿を見ることはない。いつもだいぶきこしめして紅顔の時。それでも時には酒豪なのか、下戸なのか色の出ないままの花を見ることもある。

決して大きな寺ではない妙隆寺は観光客が足を運んでは来ない様だ。七福神の寿老人を祀り、境内に寿老人の石像も置かれ、芙蓉の花が老人を守るように咲いている。その芙蓉の中に酔芙蓉もまた紛れ込むように咲いている。陽は中天にあり、射す陽は強い。それでも花はけなげにしゃんとしている。一日の命である。この程度の暑さに参るものかと粋がっているようだ。酔芙蓉も熱い風に揺れながらこれから一層色を濃くしようとしている。

どこからともなく、越中小原節が聞こえてきそうだ。胡弓と三味の音とともに。

「恋だけは別だよ 思案の他だよ 嵐の行く先ァ誰だって知るまい」

「燃えた昨夜に顔あからめて 忍び出る身に オワラ 夜が白む」(「風の盆恋歌」より)

酔芙蓉の花の短い生涯を打ち上げるのを見送るように。

所在 鎌倉市小町2-17-20
宗派 日蓮宗
本尊 釈迦牟尼仏
創建 元中2年/至徳2年(1385)南北朝時代
開基 千葉胤貞(下総国豪族)
開山 日英(法華宗 中山門流)

 鎌倉江の島七福神(寿老人)

芙蓉と酔芙蓉