関東平野の中央部、川口市から鴻巣市辺りまで細長く南北に伸びる大宮台地の南端は指のように枝分かれしている。最南端に位置する鳩ケ谷支台の縁に建つ長徳寺。
南北朝時代に鎌倉公方、足利基氏の祈願寺として「二階堂遠江守の苗裔、佐々木左衛門佐某の子」と新編武蔵国風土記稿にある武家出身の僧、秀田等栄が鎌倉・建長寺、円覚寺の住持を勤めている高僧、古先印元を開山として貞治3年(1364)に創建された格式高い寺であったが、基氏の死後、室町、戦国時代を経る中で次第に規模も縮小し、寂れ荒廃をしていった。

本能寺の変が起こった年、天正10年(1582)にまだ34歳という青年僧が住職としてやってきた。創建から220年後のことだ。
龍派禅珠・・・円覚寺で修行し、足利学校で学問を学んできた臨済僧。川口市立文化センターの資料によると「詩文・書道に秀でた学僧」だとしている。しかし単に「秀でた学僧」というだけではなかった。龍派は「行動する僧」だった。私は「快僧・龍派和尚」と呼びたい。学問の師で足利学校の庠主(校長)であった臨済僧・閑室元佶が徳川家康の信任を得ていた縁で家康と繋がり学僧ネットワークが構築されていった。
『新編武蔵風土記稿』に龍派について記述がある。「家康(東照宮)や秀忠(台徳院)から帰依を受け、御前に召され、書籍を校合する。講義をする。卜占について意見を求められると伝えられています」と。荒廃した寺、慶長年間に2度の火災の中で復興、再建に和尚は奔走した。その経済的後ろ盾になったのがこの地の代官であった熊沢忠勝。彼は和尚と親しくなる中で、堂宇の整備、鐘楼の寄進などを行ってきた。背後の丘の中腹に熊沢家の墓が苔むしてある。

龍派には多くの逸話が残っているが強い印象が残るのが「キリシタン事件」。
徳川3代将軍家光の時代、江戸ではキリシタンの取締りが強化され、多くの信徒が捕らえられていた。長徳寺の大旦那であった代官、熊沢忠勝の娘・夏は18歳で竹屋という武家の長男・権七郎と結婚。ところが彼そしてその母親がキリシタン、しかも「名前だけの信徒ではなく、洗礼を受け、積極的に布教活動などをしていた。彼女もまた洗礼を受け、ルビイナの名を持ちキリシタンとなった。
元和9年(1623)、キリシタン弾圧が厳しくなり、身の危険を感じて夏は実家に逃げ帰り、父と和尚に相談をする。だが、捕えられ牢送りになった。
水上勉が「良寛」(中公文庫)で「檀家を寺に監視させ、人別帳でとりしきらせるのも、キリシタンを邪教としたためである。赤ん坊から死一歩手前の老人にいたるまで、幕府はキリシタン信者でない証しを寺請制によってうけもたせた。」と書いている。和尚はこれまでの人脈を使い、夏の助命に奔走する。「夏キリシタンだが許してほしい」とは言わない。「夏はわが寺の檀家です」 夏は棄教を条件に赦免される。夫、義母は火刑に処せられた。和尚は夏に対して、数年後に再嫁する折に祝いの漢詩を贈り、最後まで彼女の行く末を見守ったという。和尚がキリスト教に共感しているとは考えにくい。彼の寺再建に親身になって応援し、親交を深めた熊沢忠勝への恩義に報いるためと思う方が自然だろう。

和尚はその後、家康から足利学校の庠主(校長)に任命され、更に鎌倉・建長寺の住持へと昇っていったが、最後まで長徳寺の住職を辞めることはなかった。エピソードと合わせ思うに龍派和尚は「侠の僧」だ。
「侠」は信義に篤く、困っている人を助ける人を意味する。長徳寺の丘の中程に歴代住職の墓がある。その一番奥にひときわ大きな墓石がある。その墓石には中興開山と彫られている。その背後には昭和になって建てられた三重塔が聳える。開山塔という。開山の古先印元とともに龍派禅珠が祀られている、というよりも塔は和尚が中心だった。塔から今にも扉を開けて和尚が飛び出してきて「やあ、よく来たな!」と破顔一笑「侠の僧?高倉健みたいだな」いえいえあちらは侠客、やくざの世界。「まあ、似たようなもんさ」と言って塔の中に戻っていった。」。

※1龍派禅珠(りゅうは ぜんじゅ) 「長徳寺夜話」参照
※2桂州道倫(けいしゅう どうりん)
    江戸中期の臨済宗僧侶 京都・天龍寺221世
※3松山寛恵(まつやま かんけい)
    
昭和2年生れ 慶応大学卒 妙心寺派30代管長
     妙心寺668世 号 仁山

※4秀伝等栄(しゅうでん とうえい)
    「新編武蔵風土記稿」によると二階堂遠江守の苗裔、
     佐々木左衛門佐某の子。武士であったが古先印元の下で出家

※5古先印元(こせん いんげん)
    
鎌倉・南北朝時代の臨済宗僧侶
    
甲斐・恵林寺、鎌倉・長寿寺の住持を歴任
     円覚寺29世、建長寺38世となる。諡号は正宗広智禅師



    

長 徳 寺

本堂扁額(「寒松室」龍派禅珠筆※1)

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川 口 市

 

長徳寺夜話  快僧・侠僧 龍派禅珠和尚

南北朝時代の鎌倉公方、足利基氏の祈願所として貞治3年
(1364)に僧秀田)によって開基、龍派禅珠が天正10年(1582)に住寺職となり中興、天正19年(1591)には徳川家康より寺領40石の御朱印状
を拝領した。

本堂

大智山 長徳寺(だいちさん ちょうとくじ)

御朱印

所在地 埼玉県川口市芝6303

宗 派 臨済宗建長寺派
本 尊 釈迦如来
創 建 貞治3年(1364) 南北朝時代・北朝年号
開 基 秀田等栄※4
開 山 古先印元※5
中興開山 龍派禅珠※1

山門

長 徳 寺 春 秋

座禅道場扁額(「金剛窟」松山寛恵師※3)

山門扁額(「大智山」 桂州道倫師筆※2)

開山塔(三重塔)昭和44年(1968)建立 銅板葺 開山の印元と中興の龍派を安置)

座禅道場