
円 覚 寺
鎌 倉
随想 円覚寺の禅


円覚寺錦秋
JR横須賀線の北鎌倉駅の改札口を出ると、目の前にと言っていいほど近くに円覚寺がある。わずかな石段を登りと山号の「瑞鹿山」とある扁額を掲げた四脚門の総門が。潜ると壮大な重層の山門、仏殿が一直線上に配置されている。その両脇を松嶺院、仏日庵、正続院、黄梅庵などの仏塔が、屏風のように立つ鎌倉アルプスと呼ばれる丘陵を登るように散在する。その中に参禅のための建物が。仏殿脇の「選仏場」がその一つ。元禄12(1699)年に建てられた茅葺屋根の宝形造で現在の仏殿が再建するまでは仏殿を兼ねていた。拝観したことはないが内部には南北朝時代の薬師如来立像が安置されているという。ここに参禅するのは修行僧で、一般の人はできない。もう一か所は選仏場より奥にある居士林。ここでは在家の人の参禅をさせてくれる。
「何にも考えないで、ただ坐っていろと云われた。」
夏目漱石の『門』の主人公宗助が参禅にあたり僧から言われた言葉だった。
漱石は塔頭の一寺である帰源院での修行体験をしている。
宗助は禅問答の課題である公案を与えられ「無」と向き合うよう求められる。だが宗助が理屈で考えようとするほど行き詰まってしまう。宗助は結局、煩悩や罪の意識から逃れられないことを自覚し、悟りを得ることはできず、静かに寺を去った。
一度だけ座禅のまねごとをしたことがある。壁に向かって足を組み、両手の指で印を結ぶ。ここまではできた。宗助と同じことを若い僧が言う。目を瞑る。宗助のような深い悩みなどない身である。「考えるな」という言葉が頭の中を駆け巡る。追いかけるように雑念、妄想が湧き出てくる。そうこうしているうちに睡魔が襲ってくる。肩を警策が撫でる。警策については事前に教えられていた。頭を傾げると肩に警策が当たる、と言ってもこれもまねごと、多少の痛みはあったが、心が散漫になったり、眠気が起こったりしたときに、心身を覚醒させる役割だと聞いており、後でお坊さんに訊くと「痛いですよ!」とにっこりしていた。30分ぐらい経ったかと思ったが実際には10分ほど。それこそ宗助と同じように悟りの領域に到達すことは当然のごとくなかった。
ひげ面の中に太い眉、ぎょろりとした険しい眼そして耳飾りをつけた僧、達磨さんと親しみを込めて呼ぶインド仏教僧、達磨大師が中国での禅宗の開祖。
鎌倉時代、栄西が臨済宗を、道元が曹洞宗を日本に持ってきた。
仏教は悟りを開くことが目的であり、それぞれの宗派によって異なるが禅宗では念仏を唱えるのではなく、日々の修行で自ら悟りを開くことを重んじる。そのために座禅を最も重視するという。
臨済宗では座禅とともに師匠が出す問題(公案)に答えることによって悟りを目指す。一方で曹洞宗ではただひたすら座禅する(只管打坐)ことで悟りに辿り着く。
臨済宗は壁を背にして、曹洞宗では壁に向かって座禅を組む。これは座禅を通しての悟りへの修行の違いだ。
私のまね事禅は曹洞宗のお寺だったから壁の窓からの温かい日差しが睡魔を引き寄せた、と思っている。
蒙古再来に怯え、苦悩する時の執権、北条時宗は南宋から招来した無学祖元に教えを請う。祖元は指導者としての覚悟を促す言葉を時宗に授けた。
「莫煩悩」(煩うことなられ・一切の迷いを捨て、今なすべきことに集中せよ)
「膜直去」(まっしぐらに突き進め・迷わず己の信ずる道を行け)
と叱咤の言葉を。時宗は「喝!」と答えて決意を固めた、と言われている。
円覚寺の時宗廟である塔頭の一寺「仏日庵」を訪れて、お茶を戴くときに思い出す話である。
総門(切妻造四脚門桟瓦葺 関東大震災で倒壊後再建))

山門【三解脱門】(入母屋造 銅板葺 禅宗楼門様式)
天明5年(1785)第189世誠拙周樗師によって再建
正面11m 奥行7m 高さ20mと推定される
楼上には十一面観音像、十二神将像、羅漢像などが祀られている
仏殿【本堂】(単層裳階付入母屋 鉄筋コンクリート造
関東大震災で倒壊後、昭和39年(1964)に再建)
ご朱印
仏殿勅額(「大光明宝殿」 後光厳天皇筆)

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ご本尊(宝冠釈迦如来像)
創建時のご本尊は毘盧遮那仏であったが、永禄6年(1563)の火災で多くの仏像が焼失。ただ釈迦如来の頭部は残り、江戸時代に現在のお姿に修復してご本尊とした。



総門扁額(「瑞鹿山」 伝土御門天皇筆)

山門勅額「(円覚興聖禅寺」伏見上皇筆)