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本堂須弥壇

本堂内陣勅額

創建以来幾度となく兵火に合い、その中でも北条早雲と三浦吉同との戦いでは堂宇全焼し、その後100年近くは廃寺同様だったという。
天正19(1591)年
、徳川家康より寺領100石を寄進され、後に時宗の総本山となった。
藤沢宿の火災(明治13(1880)年)で焼失。また関東大震災で倒壊しており、現在では古い堂宇は数少ない。

歴代の上人は全国を遊行し、遊行上人と呼ばれたが、引退すると藤沢に住み「藤沢上人」と呼ばれていた。

花菖蒲の寺

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藤沢・遊行寺

菖蒲園を訪れて

本堂扁額

(「登霊䑓」 紀州藩10代藩主 徳川治宝書)

(南北朝時代 北朝第4代後光厳天皇筆)

遊行寺の菖蒲園

藤澤山無量光院清浄光寺(とうたくさんむりょうこういんせいじょうこうじ) 通称遊行寺(ゆぎょうじ)

京都の六波羅蜜寺に空也上人の像があるという。実際には見ていないが写真などでは見かけている。
「一見して受ける印象は、やや弱々しい猫背ではあるが、半歩踏み出した細い足、左右に開いた左手には大きな鹿角のついた杖を持ち、胸にはやや大きな金鼓を肩から吊し、右手には撞木をもって鐘を叩きながら衆生を胸に抱え込むようなお姿である。」と作家の栗田 勇さんが書いておられる。そしてこの像を忘れられないようにしているのが「やや上向きで顎を突出し、軽く開いた唇から名号を表わす十六躰の小さな化仏が並んで出ていることである。念仏が像となっている」口元だ。(「日本の名僧」より)
平安時代中期に南無阿弥陀仏の念仏を称えて庶民に救いを説いて回った空也上人は「市の聖」或は「念仏聖」とも呼ばれていた。その空也上人を「心の師」と仰ぎ、家族を捨て16年に亘って日本各地を教えを説いて回り、空也上人と同じように「捨て聖」「遊行の聖」とも呼ばれた一遍上人は心の師から凡そ260年後に誕生している。
その上人を開祖とする寺が神奈川県藤沢市にある。時宗総本山 藤沢山清浄光寺 通称遊行寺と呼ばれている。

JR藤沢駅から商店街を抜け、箱根駅伝で有名な遊行寺坂を上ると遊行寺に辿り着く。
それほど大きな庭ではないが咲いている花菖蒲が美しいという話を耳に挟み、訪れたのは6月初め、梅雨入り前の汗ばむ陽気の中だった。訪れる人はほとんどいない。境内に立つ空也上人像の姿とは違うが、どこか似通った痩身の一遍上人像を横に見る。
「菖蒲を見せて戴きたい」と寺務所におられた若いお坊さんに言うと、ちょっと困ったような顔をして「大変申し訳ありませんが、お庭の方は明日からなんです」と。遠くから来たので、と無理強いをすると「ちょっとお待ち下さい」と奥へ小走りに入っていった。暫くすると「お待たせしました。今日から開園することにしましたので、どうぞご覧ください」と丁寧な歯切れの良いことばに笑顔を添えて、庭への道を教えてくれる。
「御番方」と書かれた額が架けられた玄関からの回廊に「御行在所 明治天皇 皇后陛下 東宮殿下」と書かれた立札に、共奉員として山岡鉄舟、井上馨、品川弥二郎、大隈重信、岩倉具視そして西郷隆盛の明治維新の立役者の名も。どんな話をしていたのだろう。坪庭というには無論大きいのだが寺域の広さから見ればそう呼んでもおかしくはない気がする。
回廊には木製の縁台が数脚置かれている。庭には濃紫、紫、黄、白など晴れの開園を今か今かと正装をして待っているような風情だ。
何しろ今年最初の来訪者、初夏の日差しを浴びた明るい舞台を独り占めしているような贅沢な気分で縁台に腰を掛け、しばし庭に見惚れていた。風のざわめきも、、堂内のお坊さんたちの声、所作の動きも聞こえない。ただ陽光に立つ花菖蒲が目に入るだけだ。白日夢のような幻影がそこにあった。
ふと微かに「南無阿弥陀仏」の念仏が耳元に。空也上人だろうか、一遍上人だろうか、それとも・・・。

先の若いお坊さんは茨城のお寺を継ぐべく1年の修行にここへ来られて2か月という。はきはきした受け答えの青年僧が更に成長していくように思いをこめてお礼を述べ、お寺を後にした。                                     【 2014年6月2日訪問】

総門

「御番方」玄関の衝立(「遊戯三昧(ゆうげざんまい)」)

中雀門(安政年間に建立され、当寺で最も古い建築物)

所在 神奈川県藤沢市西富1-8-1
宗派 時宗遊行派(総本山)
本尊 阿弥陀如来
創建 正中2(1325)年 鎌倉幕府北条高時 代
開山 他阿呑海(遊行上人4世)
開基 俣野五郎景平
    (寺伝によると呑海の兄となっている)

一遍上人像

本堂

(江戸初期以降幾度も焼失し、更に関東大震災で倒壊。昭和10(1935)年に再建)

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