本堂

kenken's

紫陽花の咲く寺

当山の呼称は、記録によれば始め「蓮華寺」であったとされ、その後「普光山浄蓮寺」に改名、そして、いつの頃からか現在の「慈眼寺」と呼ばれるようになった。戦国期の焼き討ちにより寺運の衰えた時期もあったが、徳川家康入府後、慈眼大師天海の弟子、円海上人によって中興され現在に至る。慈眼寺境内の建物・仏像等の多くはこの中興から江戸中期にかけてのもので、老朽化が進み傷みの激しい箇所も出てきたことから、平成の世、中興20世工藤晃文住職の代に、文字通り300年に一度と言える全堂大改修工事が行われた。
              (当寺掲示板より抜粋)

閻魔堂扁額(現御住職工藤雅也師筆)

普光山 慈眼寺

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山門扁額(筆者不詳)

総門扁額(工藤晃文師筆)

普光山(ふこうざん) 浄蓮華院(じょうれんげいん)慈眼寺 (じげんじ)

(別称 水波田観音)

あじさいについて植物学者の牧野富太郎さんが怒っている。一つはあじさいに「紫陽花」の文字を当てたことだ。「紫陽花」は中国の詩人、白楽天の詩にある。「招賢寺ニ山花一樹アリテ人ハ名ヲ知ルニナシ、色ハ紫デ気ハ香バシク、芳麗ニシテ愛スベク、頗ル仙物ニ類ス。因テ紫陽花ヲ以テ之レニ名ヅク」日本が原種であるあじさいが中国にあるんだ。この字を当てたのは源順で、馬鹿げた事実誤認をしていると。

もう一つはドイツ人医師で日本に来たシーボルトが妻のお滝さんの名を付けたとシーボルトを罵倒している。

「シーボルトはアヂサイの和名を私に変更して我が閨で目じりを下げた女郎のお滝(源氏名は其扇(ソノギ))の名を之れに用いて大に其花の神聖を涜した、脂ぎった醜い淫売夫と艶麗な無垢のアヂサイ、此清浄な花は長へに糞汁に汚されてしまった、あ、可哀想な我がアヂサイよ」しかし、このことは牧野博士の早とちりのようだ。シーボルトはあじさいに次のような学名を付けて発表をしている。「Hydrangea Otaksa Sieb. et Zucc」この「Otaksa」がお滝さんの名だと思ったのだろう。まあシーボルトに訊いてみないと分からないのだが・・・牧野博士をこう言っていながら新種を発見した時に自分の奥さんの名を冠しているのだから何おかいわんやである。

「紫陽花」の名を冠した源順にしても、当時あじさいが日本古来のものか分かろうはずがないではないか。しかも白楽天の詩からどの花を詠んだのかも定かではないのだ。このことは博士も書いている。だったら源順がこの文字がこの花に最も似合うと思って充てたと思う。天空で順さん、シーボルトと「やれやれ」と苦笑いをしているかも。

僕は「紫陽花」と書くのが好きだ。そして多くの人たちもそう思ったからこそあじさいに「紫陽花」と書くことを許してきたのではないか。

大宮の慈眼寺の「紫陽花」で珍しい花に出合った。薄紅色を散らした柏葉紫陽花。近くから、離れてと、ためつすがめつ眺めた。新しく再建した堂宇に似合う紫陽花だった。

珍しい紫陽花の与太話を許してもらおう。

もし、新しい種に出会い学名を付けることができるならばどう付けよう

Hydrangea○○○ Kenken」この○の中に入れる女性を今から探しておかなければ。

総門

本堂扁額(筆者不詳)

閻魔堂

山門

所在 さいたま市西区水判土462
宗派 天台宗
本尊 大日如来
創建 天長3年(826)(平安時代)
開山 慈覚大師円仁(第3代天台座主)
中興 円海上人(江戸時代 天海弟子)

慈眼寺の紫陽花

紫陽花雑感

仁王門奉納額(「慈悲殿」書者不詳)

仁王門

観音堂

1562年に北条氏康が攻め入った際に焼失。その後、川越の大工の手によって再建。平成11年の増改築を経て現在の姿に。
昔から「水波田(水判土)の観音様」と呼ばれ在の人たちからの信仰を集めていた。